文化財について
亀山本徳寺は亀山本坊と西山の御廟より成りたっている。
英賀寺内町が秀吉により解体され、1582年に亀山に寺内の堂衆寺院と一部の直属門徒ともに移転させられた。
ここに、寺と門徒の運命共同体である本徳寺は消失したが、新しい時代に、まったく新しい形態を整えて再生された。
門徒は各末寺に所属する檀徒となり、本徳寺は本末関係に基づく与力寺院と播州門徒によって維持されるようになった。
近世の本徳寺が、西国録所として、また、西派の播州における中本寺として亀山に寺基を安定させた頃、1681年に松平大和守直矩の許により山崎山に廟所を開設した。その後、播州一円の真宗西派の末寺・檀徒の納骨所として発展し、現在二千戸ほどの門徒が墳墓を営んでいる。
本坊の伽藍構成はおおよそ元禄の頃に完成した。その後、地震や火災などにより立替えや修築が行われたが、現在までに約30棟ほどの建物が甍を構え、その内21棟が文化財に指定されている。中でも、本堂・大広間・庫裡・経堂・大門は建築の歴史的経緯も明確で、意匠も優れていることから県の文化財に指定されている。なお、中宗堂(蓮如堂)は完全な形態を有するものが全国で吉崎御坊と山科別院、そして亀山本徳寺の3ケ寺しかなく、国の登録指定文化財となっている。
現在、近代的な建物を廃した景観は、江戸期独特の風情を醸し出している。建造物だけではなく、境内の植生や景観が多くの人々の奉仕により維持され、多様な参拝者が訪れ、歴史性豊かな時空間で、人は南無阿弥陀仏の大慈悲に合掌する。
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