浄土真宗本願寺派(西本願寺派)

表書院・奥書院・内道場

表書院

建築年代:十九世紀前半(推定)

構造形式:正面五間・側面十一間、入母屋造妻入、本瓦葺

細部手法:大広間の後部に雁行して建ち、上段の間に上々段の間をもった、対面所の形である。

備  考:1984年 指定文化財・市指定

表書院は大広間の後部に雁行して建ち、畳廊下を隔てて、奥には上段の間に上上段の間を持った対面所が配置されている。明治の頃には本山・明如上人の妹・朴子様が本徳寺に嫁がれ、この上段の間で対面された。ここに描かれた狩野派の水墨画の床構えは当時の朴子様のご対面を彷彿とさせる。

霊亀の庭を南に観覧して下段の間で催される大茶会はすばらいしいものがある。ここでは、大広間での公式行事に対して、内向きの接客が持たれたのであろう。その北側の四つの連なる客間は、法中の控え室として今でも利用されている。

表書院の西側は二つの小部屋(お方の間)を設け、逗留する要人の居室として利用されていた。現在は布教使や講師の控えの間として使われている。

奥書院

建築年代: 天正十四年(1586) 本徳寺資料による

構造形式: 主要部正面五間半・側面六間、入母屋造、桟瓦葺

細部手法: 住居的な古い形式をとっている。

備  考: 1984年 指定文化財・市指定

お方の間の縁から見て北西に続く建物が奥書院である。奥書院はごく内向きの接客に使われ、西に畳廊下を隔て、内道場が開ける。

奥書院の北半面は十三畳の部屋が用意され、畳を上げれば能舞台に早変わりする。床下には音を響かせる壺が埋めてある。

内道場

内道場

建築年代: 18世紀ごろ(推定)

構造形式: 正面五間・側面三間・切妻屋根・一方に軒を設け、二方に廊下を巡らす

特  徴: 内部は御内仏、書院、余間の三種類の部屋からなる。

      御内仏は、板間八畳で内陣形式の意匠を凝らし、本堂内陣に準拠している。

      書院は古い茶室の形を踏襲している。

備  考: 1965年に屋根替え工事

      19846月 指定文化財・市指定

      20077月~ 20032月 部分解体修理を行う

内道場は明治期に、本願寺真実閣を模して造られたもので住持の仏堂である。中央に阿弥陀仏尊像、右脇のお厨子には親鸞聖人のお木像が、左には蓮如上人のお木像がご安置されている。

内道場での行事の際には、すべての襖が取り払われ、奥書院や畳廊下を取り込んで、三十畳余りの空間が出現する。以前は、親縁の寺院・世話役が集まり、お内仏の報恩講が執り行われていた。

南蔵に通じる渡り廊下を撤去し屋根瓦解体・小屋組補強の上、野地板損傷部張替えを行い、南 ・ 北庇も損傷が酷いため張替えを実施した。更に、内部床組補強 、張替え、天井張替え、壁襖紙も張替えを行った。外壁板張りも焼杉で張替え、屋根は平瓦(鏑桟瓦)で葺き替えた。

渡り廊下撤去跡は、目隠し堀を新設。

 

        

 

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