到彼岸に想う
暑さ寒さも彼岸まで。春の彼岸は、冬から夏に向けて四季の移り変わりを明確に印象づける日本特有の風物詩です。彼岸にはお墓参りをして先祖に思いを馳せ、仏供養をおこなう宗教行事となっていますが、インドや中国にはない仏教行事が、いつ頃に、何故、日本に定着したのか皆目分からないそうです。憶測するに、日本における明確な四季の循環、稲作を中心とした農耕サイクルとの関係などが考えられますが、これといった決め手はありません。しかし、彼岸行事の記載はふるく、『崇道天皇の奉為に諸国国分寺の僧をして春秋二仲月別七日、金剛般若経を読ましむ』とあり、古代にはすでに彼岸が公式の行事とされ、また、源氏物語をはじめ平安初期の諸文献にも散見されるので、このころには民間でも定着していたことが分かります。「彼岸」は文字通り「彼の岸」ということで、あちら岸です。したがって、今いるところは此岸、つまり、こちら岸。「彼岸」は、こちらからあちらへ川や海を渡るイメージをもっています。ですから、「彼岸」は正確には「到彼岸」と言って、こちら岸からあちら岸に渡ることを意味しています。古来の日本人は人が死ぬと単純にあの世へ行くと感じていました。あの世は山や海であり天上や地下であったりしますが、とにかく、死んだ先祖が行く場であり、そこにとどまり、また帰ってくると言う古代の他界観がそこにはあります。このような素朴な観念をベースに、秋の農繁期を迎え、先祖のお蔭と、大地や太陽への感謝が彼岸の行事を形作っていったのかもしれません。毎年繰返される農耕信仰と先祖信仰を背景に、農耕の休閑期と時候の息吹とがあいまって、日本の民衆に古くから広まっていったと考えられてます。
しかし、民族文化の底辺を流れる素朴な「あの世」観は、時代の推移とともに、かたちの解釈から内面の実相に注意が向けられていきます。ここに仏教が大きく関わり合いを持ったことは言うまでもありません。「此岸から彼岸へ」を「娑婆から浄土へ」に転換することによって、民族の生死観におおきな目覚めをもたらしました。つまり行ったり来たりするこの世やあの世は所詮この世の延長線にあり迷いの輪廻界でしかないのでは…と。娑婆世界から悟りの世界への解脱をまって、真に到彼岸が実現することに目覚めた日本人が育っていたのです。この時に、日本人は「ヒト」から「人」になったのではないでしょうか。もちろん、一足飛びに、人間観が深まったわけではありません。当初は、あの世を極楽浄土とみたてて、春と秋の彼岸に仏教行事をとりいれて、次第に、人間に目覚めていったに違い有りません。初期の信仰で有名なのは、和国の教主、聖徳太子の発願によってたてられたといわれている四天王寺・西門外所の西方浄土信仰があります。太陽の真西に沈む方向に遠く浄土を観想するこの信仰は、太子信仰と結びつけられ、古代の浄土信仰を今に伝えています。『四天王寺御手印縁起』の虚偽性にも関わらず、今なお、彼岸には大勢の人が詰めかけ、先祖の供養や太陽崇拝のなごりを見ることができます。決定的な「ヒト」から「人」への変革は中世におこりました。中国浄土教のリーダー・善導大師の「二河白道」はそのことを端的に示しています。荒れ狂う海と燃えさかる炎火の中にしっかりと架けられた此岸から彼岸に到る一筋の白い道のイメージは、古代の他界思想では手に負えなくなっていた日本人の生死観を大きく飛躍させました。「私」と云う個人の存在に気づいた者が、釈迦・弥陀の教えを唯一の頼りとして、ひとり静かに進み行くものです。二河の象徴である貪りと怒りを乗り越え、初めて成就する歓喜と悟りの境位が浄土です。善導は、この浄土へのイメージトレーニングに『観無量寿経』の日想観の行法を示して、『冬夏の両時を取らず唯春秋の二際を取る、その日正東より出て直西に没す阿弥陀仏国は日没処にあたる』とその時所を述べました。このように西方極楽浄土を観想する上で、「彼岸」はあらたな意味を持って登場することになったのです。何故に西方浄土なのか。時空間の観念でしか位置を認識できない人間の知性が、時空間の観念にとらわれない浄土を見ることはあり得ません。しかし、浄土への往相がこの身に実現されるためには明確で寸分狂いのないイメージを必要とします。その意味で、浄土を目指す凡愚身において西と定められたことはとりわけ重要なことなのです。この方便の浄土は、信心を決定し此岸から彼岸に渡る生身の凡夫にとって欠かせない方位なのです
亀山本徳寺では三月十九日から二十一日まで五日間、お彼岸のお勤めを執行します。「世界は燃えている」と直感されたのは釈尊です。此岸の人は御しがたい欲求と耐え難い日常を抱えて底知れぬ不安と飽くなき夢から一刻も逃れることはできません。此岸から彼岸に、迷いの世界から目覚めの世界へ、仏様に、終生、問題とされ、目覚めてくれと願われている「私」と向かいあった時、浄土真宗の「法」の世界が開かれます。どうぞ、お誘い合わせの上彼岸讃仏会にご参集下さい。
お知らせ
2025 御正忌報恩講
2025年1月1日 行事
さて 来る1月13日より16日まで聖人の御正忌を勤めさせて載きます。人の一生は娑婆での修行。娑婆の迷いから浄土のさとりへ、仏様の智慧の世界から命の本性を見抜かれた親鸞聖人のご威徳を報恩講で偲ばせて頂きます。この度の報恩講では、初日13日に、真宗文化研究会のお勤めがあります。奥書院で抹茶の接待並びに寳物展示があります。15日には本徳寺コーラス部による仏徳讃歌の後、午後2時から報恩講式が勤まります。
2024-2025 除夜会・元旦会
2024年12月9日 行事
令和六年が終わります。無事に過ごせた人、大事を経験した人。仏樣の智慧を頂いてこの私の一年を静観してみよう。支えてくれた人やモノが見えてくる。感謝の気持ちを鐘音に込めましょう。 令和七年。新しい年が始まります。なにがおこるか分からぬ娑婆の命。南無阿弥陀仏の弘誓に目覚め、 信心ひとつで老・病・死を生き抜こう。
亀山本徳寺で行われた様々な催しの樣子をご覧いただけます。
蝋燭能、音楽祭、映画ロケ、モダンダンス、書道展など、本徳寺ならではの空間を生かし多岐にわたる表現の場を提供しております。