浄土真宗本願寺派(西本願寺派)

亀山本徳寺参拝記念証  

亀山本徳寺参拝記念証

p1000107

本徳寺では500円以上の懇志を納めていただいた参拝者の方に参拝記念証をご用意しております。

倶会一處(くえいっしょ)・泥洹殿(ないおんでん)・摂取不捨(せっしゅふしゃ)の文字を手書きしたものになります。

 

 倶会一處(くえいっしょ)

「倶(とも)に一つの處(ところ)で会う」と読みます。この娑婆の迷いの姿で先に逝った人に天国で単に再会するのではありません。阿弥陀様のお浄土(おさとりの世界)で、菩薩となるからこそ、当然に共に会わせていただけると言うことです。阿弥陀様は、この「私」を必ず浄土に往き生まれさせ、仏に育てると誓われた仏さまです。今も「南無阿弥陀仏」の姿となって、「私」にはたらいて下さっています。

出典『阿弥陀経』(勧念仏往生)

舎利弗・衆生聞者・応当発願・願生彼国・所以者何・得与如是・諸上善人・倶会一処

現代語訳

舎利弗よ、このようなありさまを聞いたなら、是非ともその国に生まれたいと願うがよい。そのわけは、これらのすぐれた聖者たちと、ともに同じところに集うことができるからである。

泥洹殿(ないおんでん)

「吹き消すこと」「吹き消した状態」を古代インド語のサンスクリット語でニルヴァーナといい、パーリ語ではニヴァーンといいました。これを中国語に翻訳するとき音写され、ニルヴァーナは「涅槃」と、ニヴァーンは「泥洹」と表されました。それでは、何が吹き消されるのでしょうか。貪りと怒りと執拗です。すべての人が心に潜ませている煩悩です。すなわち煩悩の火を吹き消した状態を指しますが、一般にはお釈迦様のさとりを涅槃といい、また、浄土のことを涅槃とも言います。殿は、大きく立派な建物を意味します。したがって、本徳寺の本堂には泥洹殿の扁額が揚げられています。

出典『無量寿経』(讃仏偈)

国如泥洹・而無等双・我当哀愍・度脱一切

現代語訳

涅槃の世界そのもののように、並ぶものなくすぐれた国にしよう。わたしは哀れみの心をもって、すべての人々を救いたい。

摂取不捨(せっしゅふしゃ)

人は何の為に行き、そして死ぬのか?「南無阿弥陀仏」(名号)の成り立ちとはたらきに疑いが晴らされ、信心が開け起こる時、この問題が見事に解き明かされます。これを、「現生正定聚」と親鸞聖人は示されました。この信心に目覚めた時、「摂取不捨」(摂め取って捨てない)の阿弥陀さまの智慧に照らされ護られて、この人生を精一杯生き抜き、去って行ける自立の人になります。

出典『観無量寿経』(真身観)

光明遍照・十方世界・念仏衆生・摂取不捨

現代語訳

光明はひろくすべての世界を照らして、仏を念じる人々を残らずその中に摂め取り、お捨てになることがないのである。

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