浄土真宗本願寺派(西本願寺派)

大玄関・太鼓楼

大玄関

大玄関

建築年代: 元禄四年八月(1691)  十良兵衛作(獅子口銘)

構造形式: 正面三間・側面五間・唐破風本瓦葺

特  徴: 大型の瓦葺き唐破風の大玄関で、正面に二間×三間の上がり口を設け、後方は三間×三間の板の間になっている。

備  考: 19846月 指定文化財・市指定

      1997年 屋根部修理/播磨社寺

     (後屋根部の張り腐食は取り替えずに補強)

      玄関前の常夜灯一対は昭和三年五月、睦谷菊治建立。

      19922月 玄関口修理

この大玄関に対して玄門が開かれており、本徳寺の正式な玄関である。昭和の大修復では玄門から大玄関まで石畳がひかれ雨の日の通行が可能になった。行事の時にはここに紋幕が張られ、客人を招き入れる。

当初の大玄関は三段の踏み台を設けていたが、老齢者の便宜をはかって四段に変更された。本徳寺の建造物の大半が大型のため、床面も高く三段では足腰のよわい老人が難儀をするためである。敷居が高いと入りにくいとは良く言ったものである。

正面唐破風の奥には霊亀の彫刻がある。この霊亀は本堂の内陣天井の四隅を飾り、さらに大広間の上段の間、旧天井画にも極彩色で彩られた霊亀が描かれていた。この霊亀は亀山の地名と密接な繋がりを持っている。

 

太鼓楼

建築年代: 十八世紀中頃(推定)

構造形式: 下層正面三間・側面四間、上層方二間、上下層ともに入母屋造、本瓦葺

細部手法: 望楼形式の城郭の隅やぐら風の建築で、外観は二重である。一層の平面は前後に二分し、前は板張り、後ろは土間である。軸部は方柱で、組み物を欠く。上層は方二間で、漆喰を塗りこめてあり、柱間装置は、腰長押・内法押間に連子入りの花頭窓と格狭間を置く。珍しい遺構であり、花頭窓の形が古い。

備  考: 19846月 指定文化財・市指定

      1995117日 兵庫県南部地震により破損

      19984月~19997月 解体修理、施工は金剛組

英賀時代、太鼓楼は地内町の随所に置かれ24時間体制で見張りが立てられた。中世においては、寺と門徒は運命共同体として地内町を形成し、外敵の侵攻に対して盤石の体制をとっていた。

見張り櫓から発展した鼓楼は、最上部に太鼓が持込まれ、火急の時には門徒が太鼓を打ち鳴らして寺内に防御の準備を知らせた。花頭窓などに比較的古い形式が見られること、また鬼面の飾り鬼が古いことなどから英賀時代の寺内の様子を窺い知ることができる。

やがて、秀吉により寺内町が解体され、近世になると、今のような塀で囲まれた寺院形態になった。太鼓楼の役割は終わるが、中世の風情を引き継いで、真宗寺院の伽藍要素として定着した。従って、英賀時代を物語る唯一の建造物であると言える。阪神淡路の震災で倒壊寸前であったが、第二期復興事業により復元された。

姫路城からの移築説があるが、それは信憑性に乏しく、むしろ寺内町の太鼓楼が近世の城郭の要素として発展したと見るのが時代的に自然である。本徳寺資料によると、建設年代は天正八年(1580年)とあるが、英賀時代のものか定かではない。亀山に移転後、きわめて早い時期に建てられ、その後、修改築を重ね現代に至ったと考えられる。

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