庫裡
建築年代: 延享四年(1747年)、飾西郡構四郎左衛門(獅子口銘)
構造形式: 主要部実長正面九間半・側面十間半・出入り口唐破風付、入母屋造妻入、本瓦葺
細部手法: たたきの土間、それに続く四十九畳の部屋を一室とし、四室の座敷をつけている。妻にしきは、紅梁上に大鼃又をつけ、その上にいのこ又首をつけるなど、本堂と同様の手法を用いている。
備 考: 1984年 修復工事 1984年6月 指定文化財・市指定 1990年3月 指定文化財・県指定
庫裏は大厨・大仲居とも呼ばれ、お寺の台所兼食堂であり、時には宿泊にも使われた。県下で最大級の規模を誇るこの庫裡は40糎角の2本の心柱で支える吹き抜け構造をもち、食事をつくる厨房の土間と食事をとる盧を切った板間が特徴である。吹き抜けの屋根には煙抜けの小屋根が乗せられ、一見して厨房だと分かる。後方には仏間が設えてあり、隣接して宿泊可能な部屋が付属している。
1984年に、元神戸大学工学部 多淵敏樹教授の監修によって屋根替え並びに内部の復元修理が施された。その際、大屋根北側の東西両脇の一部に室町時代の特徴を持つ瓦が葺いてあることが判明した。これにより、本徳寺の亀山移転に際して、英賀時代の建造物が移築され、1748年に建てられた庫裡の瓦として再利用された可能性が強くなった。
現在も寺の年中行事には、麗姫会が朝早くから出仕して食事の用意がなされる。行事中、一番活気がみなぎっている処である。昼時には、参拝の同行・門徒をはじめ、お手伝いの世話方が昼食をとり、憩いの場としての役割を果たしている。以前は数カ所に炉が切られ、同行の法談の場を提供していたが、現在は一箇所の炉を遺すのみである。
櫻の間
建築年代: 十八世紀頃(推定)
構造形式: 正面五間・側面六間・切妻本瓦葺
特 徴: 床の面を有する二十四畳の間である。大広間の北に直角に接合し、壁面に桜の墨画が二面の障壁に展開されている客殿である。
備 考: 1986年 修復工事 1984年6月 指定文化財・市指定
櫻の間は大広間北殿とも呼ばれ、大広間での対面にあたりその控えの間として利用された。以前には極彩色の櫻の南画が壁面一杯に描かれ来客をもてなしたと言われている。
残念ながら、大広間の障壁同様に陸軍の駐留によって破損が甚だしく、昭和51年に関保壽画伯によって清々しい櫻が描かれた。この書替によって櫻は水墨画に置き換えられたが、以前にも増して壮大な山桜が出現した。この櫻のモデルは岐阜山系の深くに咲き誇る古木の櫻である。
かつては大広間北殿として、正客の広間での対面に際し、控えの間として湯茶などが振る舞われた。現在では、この部屋を利用して法事のおときや小規模な演芸会、展示会などが開かれている。