本徳寺春彼岸会ご案内(3月19日~21日)

世界中がコロナの脅威に翻弄され、五濁悪世が増長する真っ只中で、終生、問題とされ、目覚めてほしいと願われている仏に出会うこと…生死を越えていく私を発見することができるかもしれません。何よりも、この仏縁を慶ばれた方に親鸞聖人がおられます。

命を強く意識せざるを得ぬこの状況が仏に出逢うきっかけになるかもしれません。本徳寺ではそのような方のために、防疫対策を万全に期して、お迎えしたいと考えております。 本徳寺有縁の皆様方に、お彼岸会のご案内を申し上げます。

彼岸供養のお経付けは随時受け付けます。

 

日程 (19日・20日・21日)

午前7時 晨朝勤行/本堂 → 引き続き法話/蓮如堂
午後1時 彼岸会勤行/本堂 → 引き続き布教/蓮如堂

法話/本徳寺住職 大谷昭仁師  布教/加古川・金照寺 宰務清子師

※コロナ感染防止の為、今年の午後1時中日彼岸法要では御坊のコーラス讃歌と写経奉納は中止となります。勤行後の法話と説教は実施いたします。

 

 

到彼岸に想う

「彼岸」は、墓参りをして先祖を供養する。古代からの日本の麗しい光景である。しかし、その真意を知る者は少ない。

「彼岸」は正しくは「到彼岸」、つまり此の岸を離れ彼の岸に「私」が到ると言うことである。娑婆の面識から言うとこの世からあの世である。ご先祖様はあっちに行ったけど私はまだこっちにいる。いずれは私も逝くけどまだまだ早い。いつまでもこの世に未練がある。

コロナ禍中、苦楽に翻弄され生死の迷いの海から出ようとしない存在、それが「私」である。

仏の教えに照らしてみると此岸は欲界と言う娑婆濁世、彼岸は仏が示す浄土の悟りである。その間には途方もなく越えがたい「私」という壁がある。仏教はこの壁を問題にする。

真宗では先に他界した者を先達と言う。自分よりも先に行ったからだ。人は仲間と言う社会を作り、互いの様子をうかがいながら自らの行動を決して行く。身体を滅して行くときには、その様子を先達に聞くしかない。しかし、先祖先達はもういない。だから、仏に聞くしかないと言うことになる。これが彼岸の仏事を勤める本意である。

今年も彼岸に仏事が勤まる。先祖の供養を縁にして、「私」の命のありようとその行く末を仏さまの智慧を載いて訪ねてみよう。