この法要では五百年来の播州門徒の念仏相続と本徳寺護持の思いを表し、仏説阿弥陀経が読誦されます。仏陀の舎利佛への説法を、私の問題と正面から捉え自らの「いのち」の本性を明らかにすると共
に、無明の迷いから浄土の悟りに至る大きな命の流れに気付かせていただきます。読経中には、先達の遺徳を偲び、共に仏徳への讃歎を合掌・礼拝にこめてお焼香を致しましょう。ご法要を縁に後生の一大事を仏様の説法に聞いていきます。迷いの娑婆世界では自分の責任を先祖の責任にすり替えてしまう、とんでもない過ちを犯しがちです。先祖の供養を縁に、今を生きる私が先祖と共に阿弥陀仏の大慈・大悲に合掌するという真宗の正しい先祖観を学びましょう。娑婆の現行は余りにも刹那的で残酷です。一時の歓びは次の苦しみに繋がっていきます。若い躰を享受できる時間は短く、「老・病・死」は生まれたときから始まります。人は自らの命を生きますが、命の依って来る由縁と逝く処に疎いものです。非業の殺気は時を選ばず。よって心底落ち着く処を知りません。揺れ動く心境に右往左往して最後は老病死のどん詰まり、ただ骨になるばかりです。この根源的原因を仏教では「無明」といいます。過去において数知れない先祖・先達が信心の智慧を頂いて、この過酷な無明の生老病死を貫く仏の命に目覚めて来られました。先に行く者は後を導き、後の者は先を弔うとおり連綿と続く仏の智慧の相続が私を通して浄土真宗の追弔会をかたちづくって来たのです。