浄土真宗本願寺派(西本願寺派)

伝道· 教化の実践

本徳寺本坊で毎年1月13日~16日に御正忌報恩講が修業される15日午後2時から報恩講作法に則って親鸞聖人の行德を表白する

伝道・教化はお寺の存在と僧侶の仏教活動が社会に与える影響の総体である。仏徳賛嘆と仏法聴聞の要素に大別されるが、両者は互いに因果関係をもって、いわば車の両輪である。その内、賛嘆は法要・行事の中核を担い、聴聞は言語的表現による説経や説教をとおして補完的に修業される。本来、説経は、仏教の教理を経典に基づいて正確に説明することである。一方、大衆にアピールするために厳密な教理は控え、経典の教を説き手の味わいや身近な譬喩をとおして直截的に語ることが説教である。

中世において伝道・教化の場である寺院や道場が整備されると、読経作法という仏徳賛嘆の後は、聴聞と称して教えの肝要を聴くことが定着してくる。当時は、日常生活と信仰は深く関連していたため、熱心な聴衆の仏教的素養を育て、門徒集団の形成に繋がっていったと思われる。近世になって宗派が社会的に固定され、檀家制度の下、それぞれ教学研鑽が奨励され、独自の宗学として掘り下げられたものの、門徒の日常生活とは乖離してくるようになる。説経も芸能的技能が色濃くなり、形式的になったことは否めない。

近代になって個人が重要視され、それぞれの考えや思いが多様化するにつれて、画一化された伝道・布教の成果は困難となりはじめた。しかし、年中行事や法要に参加される人は少なくはなったが休止するには至っていない。個人的な参詣はむしろ増加しつつある。若い人の中には経済効率一点張りの功利的な世間智に辟易して、かえって古い伝統行事に新鮮さを見出し、耳を傾ける人もいる。また、人生の黄昏時に身を置く老齢者のなかには終活のなかで不可避な老病死の意味を問い始める人もおられるはずである。これからはそのような新しいタイプの要求に応えるため、過去とはまったく異なる時代や社会背景を認識した上で、本徳寺の伝道・教化は展開されるべきであろう。

本徳寺の年中行事には必ず説経がもたれ、各種布教団の布教活動も行われている。日常的には、晨朝勤行のあとで布教がもたれる。伝道教化の伝統的な活動は寺院の生命線であるが、補完的に、文書による教化活動が通信やインターネット、掲示などにより年間を通して実施されている。

メディアによる伝道は相手の顔が見えないので、どの様な誤解が生み出されているのか想像もつかない。無明の自我で固められた個人は、既に先入観のかたまりでもある。言語表現による伝達だけでは、当人の気に入った枠に収まったものだけを切取ることになり、自らの菩提心を開くことは難しい。難中之難無過斯である。今後の大きな課題である。

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