お寺はその公益性が社会に認められているが故に、現行の宗教法人法の下で、境内や寺院建造物の固定資産税が免除され、懇志や布施、寄付など宗教法人の収入に限って非課税である。一方、寺則において構成員の間では法人の目的や役員構成とその責務が明文化されており、歳入・歳出の監査及び事業活動の報告が義務づけられ、これらは毎年公的機関に報告されている。勿論、税務署の監査を待つまでもなく、寺院に所属する給与所得者は源泉徴収による所得税はじめ住民税の納付が一般の給与所得者と同様に義務づけられている。
しかし、これだけではお寺の持つ公益性の内容が十分に伝わらない。とりわけ、広域に不特定多数の人的交流を持つ本徳寺としては社会に対する何らかの
説明責任が求められる。法人の公益性の根拠、つまり、その時代その社会において変化するお寺の公益的役割を自らチェックし、その存在理由を社会に認知し
て貰う必要がある。そのような努力を通して、通常の監査や報告だけでは読み取れない、隠された、あるいは見過ごしているお寺の社会的価値が見出され、社会に対してお寺のより深い理解がなされると思う。
さて、本徳寺は毎年の行事・法要の原資として、播州一円の世話役から同行懇志として年間行事の寄付を集めていただいている。担当の世話役さんに寄付の重要性と必要性を説明させて貰うが、いつも焦点が定まらないストレスを感じる。その理由に、このお寺の特殊な歴史的変遷がある。かつて中世に誕生した本徳寺は蓮如教団の西の拠点としての存在理由があった。近世には、宗門における播州の中本寺として本末行政の役割を果たした。近代には別格別院となって播州の真宗信徒の崇敬を集めた。そして、戦後は伝統的宗門の解体とともに、本徳寺は地域の真宗の歴史的伝統を持つ由緒寺院とされている。このように時代とともに本徳寺は変遷を繰返してきた。ここに焦点が定まらない理由の一つがある。
もう一つの理由は、自らをことさら世間に説明するということ自体、お寺にとっては初めての経験だということだ。従来のお寺は、本末制度下にせよ、寺檀制度下にせよ、ことさら自らの存在理由を社会に向かって説明する必要はなかった。その体制のなかで決められた役割を果たせばそれでよかったのである。
戦後、日本社会は過激に変わった。旧社会を覆っていた古い文化や伝統的習慣そして暗黙のルールなどの強制力は弱められ、あるいは取り除かれ、極めて無責任ではあるが、自由と平等の社会空間に未熟な個の欲求が放り出された時代が到来した。このような大衆化された時代においては、社会からの宗教的ニーズにどう対応するかでお寺の社会的価値が決まる。しかるに、葬式仏教と揶揄されながらも、このニーズ故に葬儀や法事がネットビジネスとして成り立つのである。
しかし、お寺がこのような時代の術中に陥ると単なるサービス産業となり、自ら墓穴を掘ることになる。さりとて、本来の仏教は菩提心の発現で悟りを目指すもので大衆のニーズを満たすための道具でないと居直ったところで孤立するだけである。むしろ、大衆化されたニーズを正面から見据え、現場に深く分け入り、大乗の本源に立ち返って本来の宗教的役割を発揮すべきであろう。そのためには、あえて今、お寺は自らの宗教的役割を明確にして、そのお寺の社会貢献のありようを大衆化社会にアピールしていくことが求められているように思う。
各お寺にはそれぞれの歴史的経緯があり、その社会的な役割も多岐にわたるものであろう。既に述べたように、本徳寺は播州の本願寺として、他の一般檀家寺とは異なる独特の歴史を歩んできた。中世に始まり、江戸期から明治・大正・昭和・平成とつづく変遷の中で、栄枯盛衰を繰り返しながら、播州一円の本願寺西派寺院とその門徒の断えることのない懇念によって護持されてきたのは紛れもない事実である。たまたま今生で、この由緒ある本徳寺の住職と
して役務に携わった僅かながらの経験からではあるが、本徳寺の公益的・宗教的な役割について、お寺の現状を踏まえて考えてみたい。
亀山本徳寺は亀山の本坊と山崎の廟所から成り立っている。本坊は約六千坪、廟所は四千坪を有し、境内には三〇棟を超える寺院施設を抱える。歳出の概要は、境内と伽藍のメンテナンスが年間約一〇〇〇万、運営費が約一五〇〇万、人件費( 十一名)が約一五〇〇万である。年間四〇〇〇万の大半を布施と懇志、寄付収入で賄っている。この法人会計の詳細な分析を通して、本徳寺が社会的にどの様な公益性のある社会貢献をしているかが明らかになるはずである。(円グラフ参照)
真宗文化研究室 大谷昭仁