浄土真宗本願寺派(西本願寺派)

お寺の多様な社会貢献

以上は本来のお寺の伝統的な役務で、昔ほどではないが、時代を超えて、今でもその社会的役割は認知されている。しかし現代という大衆化された時代においては、従来の本末関係・檀家制度に基づくお寺の存在価値は希薄になり、お寺の相対的評価は低下しつつある。一方で、時代環境の急激な変化の中で、新たなお寺の役割が模索され、生まれつつあるのも事実である。ここでは、今までとは異なる観点から、時期相応の仏教伝道の有り様を考え、見落としがちな隠れた寺院の役割や責務を見出していく必要がある。以下、いくつかの思いつく視点からお寺の社会的貢献を考えてみたい。

その前に、社会的貢献を詮索する上で注意すべきことがある。お寺と大衆社会の関係である。現代人とお寺の近親関係が大切であるという思い込みから、大衆化社会において、大衆のニーズやウォンツに積極的に対応しなければお寺は生き残れないという市場主義の見方が流行している。この傾向には十分注意しなければならない。なぜならばお寺が大衆のニーズやウォンツに終始すれば、寺院経営がサービス産業の市場原理に飲込まれてしまうことは先に述べた。

2017 年1 月15 日早朝。御正忌報恩講の朝、晨朝勤行の前、たまたま前夜に降雪があり、境内が白一色の雪景色に覆われた。

大衆の要求は個人の欲望が満たされることをもって価値ありとする。本来、仏教活動をすべきお寺が仏教の主張を捨てて、大衆に媚び同化することになれば、繁盛したところで、仏法は消滅するだろう。この滅法の時代にこそ、仏法が大衆の一人一人の心底に影響を与え、大衆社会の最良の導き手とならねば、お寺の存在意義そのものを放棄することになるからである。

しかし、頭から大衆の欲求を無視することは何の成果ももたらさない。釈尊の原点に帰って、個人の無明と正面から向き合うことだ。ニーズやウォンツを逆手にとって、個人の菩提心を発起するきっかけを提供することである。食うか食われるかのぎりぎりの攻防がこれからのお寺には要求されているように想う。

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