本徳寺の境内には、戦没者の追悼記念碑が少なからず建立され、西南の役、日清戦争・日露戦争、日支事変(写真中央)と戦争の惨劇が刻印されています。これらの戦争によって多くの犠牲者が出た事実を忘れることはできません。
しかし、戦後の日本社会でも、大量の物の生産と消費の中、平和という幻想のなかで、戦時下でないにも関わらず大量の「いのち」が押し潰されていく文明の凄まじさを見せつけられます。
戦後の一見平和で豊かな経済はさらなる大惨劇の幕間にしか過ぎないのかもしれません。
自己犠牲が美徳ではなくなったこの時代、この社会は、全能感の肥大化と他をかえりみる想像力の欠如によって、万人の万人に対する修羅場と化してしまいました。
冷静に近代という激動の世紀を眺めてみると、戦前も戦中も、そして戦後もこの人間の本質はいっこうに変わっていないのに気付かされます。
ご仏前で、縁有る犠牲者に追悼の誠を捧げるとき、不完全な文化や価値観をもってしか生きることが出来きない人間の宿業的な問題に突き当たります。自縛の苦悩地獄が始まってから、法蔵菩薩が終始問題とされ、その解決のために阿弥陀仏となられた真意を今一度深く考えてみたいと思います。
さて、今まで篤信の世話方や播州一円の門信徒が、この本徳寺を心の拠り所にされて来ました。これらお世話方・門信徒の報恩行は、人間の宿業の解決こそが、人が本当にしあわせになる道であること。その為には「私」が仏様から願われているいのちの存在に気づくしかないことを、身をもって示されたものであります。
平成14年度まで戦没者と物故世話役の追弔法要を勤めさせていただいておりました。戦没者の多くは真宗のご門徒であり、この法要に参集される方は真宗門徒にかぎられていたこともあって、18年から、遺族はもとより、廟所に納骨された本徳寺有縁の門信徒も含めて播州門徒の追弔法要を勤めさせていただいております。
とりわけご生前中、お取り次ぎ頂いた本徳寺のお世話役様と本徳寺にご縁のあったご門徒のご苦労を忍ばせていただきます。
この上は、先達の「いのち」を正面から見据え、阿弥陀仏が願われている「いのち」の真実に気づかせていただき、自らが納得のいく「いのち」の全貌を自覚する機会にしていただければ、これ以上のことはありません。
本徳寺住職 大谷昭仁