健康で若い躰は心地のよい乗物ですが、結局のところ、娑婆世界は、運と努力によって得た地位や財産を「老・病・死」が根こそぎを奪っていく過酷な処です。人の命の有り様は蝋燭の炎のように、条件が整えば燃えるようなものです。人は自らの命を生きますが、命の依って来る由縁と行く末を知りません。従って、心底落ち着くことがありません。転変万化する心身に翻弄されて最後は骨になるばかりです。冷静に観察すれば、現世の娑婆はかくもはかなく悲惨なものです。このような有り様を仏教では無明といいます。今まで数知れない先祖・先達が仏の慈悲に目覚め、信心のお念仏を通して、この過酷な
無明を見通す智慧を戴いていかれました。先に行く者は後を導き、後の者は先を弔うとは、先に行く者と後に残る者とのどうしようもない断絶の中で、初めて先達の命の有り様と行く末を仏さまの信心の智慧を通して問うことが出来ると言うことです。このようにして、連綿と続く智慧の働きがが真宗の追弔会を形作って来ました。ご法要では追弔の趣旨を表白に顕して、阿弥陀経をいただいて勤修されます。経中の舎利佛への釈尊の問いかけを私に対する説法と受け止めて、浄土のさとりを領解させていただきましょう。

皆様のご参集をご案内いたします。

日程 9月1日(日)
PM1:00~ 播州真宗門徒並びに本徳寺世話役物故者追弔法要(本堂)
PM2:00頃~ 説教(蓮如堂)

布教使/最光寺 杉本照顕師