数年前から名古山仏舎利塔で三大仏供養を勤めさせて頂いている。釈尊の遺徳を追慕し、降誕から成道、涅槃に至る釈尊の行実を心に深く追憶し仏徳を賛嘆する行為である。同心の僧侶が参集して、釈尊の偉業を尊崇の念をもって観察し、一つ一つの決められた作事を通して供養をいたし、読経のなかに教の真理を自覚し、仏徳を賛嘆する。これを仏供養という。
仏事の基本は、迷いの中にある私が、仏法を聞いて、菩提心に目覚め、悟りに至る事を前提としている。もちろん、一挙に天命開悟は無理だから、それぞれの仏縁を通して機が熟するのを待つわけで、各自それぞれの境位があることになる。したがって、仏事に参加する人々の思いは一つではない。つねに仏説を聞いているものもいれば、初めて手をあわす者もいる。
名古山の「花まつり」のように何千人と多くの参加者がある場合は、思いを釈尊の遺徳に焦点を合わせることは現実的ではない。大多数の者は、納骨した亡き父や母に手を会わすのが正直な思いである。ここに故人の霊を慰めその成仏を願うという、典型的な慰霊供養が出現する。
日本人の心底に染みついた「慰霊供養」
慰霊供養といっても千差万別であって、一言でかたづけるわけにはいかないようだ。慰霊の構造を考えて見よう。霊を癒やすのだから、まず霊がなくては始まらない。霊とは故人が死後も何らかのかたちで存続し、生きている者にある影響力を与え続けると観念することで、その主体を霊という概念で理解しているのであろう。今時、そんな前近代的な霊魂を信ずる者はないように思うが、民族の心層はそう単純なものではない。
実際、靖国には英霊が合祀され神になった御霊を讃えるし、先祖を祖霊として認識し、先祖の供養を通して恩恵を頂こうという予定調和を主張する宗教団体もある。新興宗教の大半は霊の「たたり」や「おかげ」を説いて、現世利益を求める多くの信者を集めていることも注目すべきであろう。霊の概念を持たない真宗でも、他者の往生の主体を客観的な対象として表現する場合に、仮構的に霊位と言う言葉を近世に使用した例があった程である。
もっとも、仏教が日本に入ってくる以前は、日本は至る所に天神地祇が鎮座し、神霊や悪霊・鬼神が存在していた。天変地異は鬼神により、全て疾病や厄災は悪霊の仕業であって、ある意味、わかりやすい精神界を古代人は共有していた。
権力中枢での闘争を繰返す支配者階級の間では怨霊は最大の関心事であった。この怨霊を鎮魂するために、北野天満宮が建てられ、八坂神社の御霊会もある。古都の伝統的な神事や仏事の大半はすべてこの怨霊思想に基いている。日本の文化の闇に蠢く怨霊は、現代の日本人の深層にその残影を止めていたとしても不思議ではない。
むしろ、古代では、この霊魂観が未知なる世界に関わる契機ともなったが、近代社会は霊魂観を無力化しただけで、より一層の不安の中に個人を放置することになった。だから、今でも霊界を説く新興宗教がそこら中に跋扈しているという訳である。現代世界においてもスーパーナチュラルな精神世界においてこの手の話はよく聞かされる。幽体離脱や前世の記憶などの多くの事例を科学的に調査して、その実在性を主張することは現在に至るまで終息することはない。
以上の見聞から頭ごなしに霊の存在を否定するだけでは済まないことがわかる。むしろ人間の心の本質に関わる問題として正面から現代仏教が取り組まねばならない問題である。
ある有名な心理学者の意見であるが、現代人は予期せぬ外界の変化と内面の慟哭に常に曝されており、その脅威に対する防衛本能として、自分だけが納得できる因果を定めて心の安定を求めようとする。これが人間の本質的な心の所作であると言うのだ。
そういう意味で、昔は、霊魂観が納得できる因果として社会的に有効に機能していたのだ。何らかの非業の死を遂げた者、もっとも、死はすべの人にとって非業であるが、荒魂の威力を持ち、近親者は、厄災回避の為、慰霊・鎮魂に尽くすことになる。この期間を喪といい、この慰霊行為は忌明けまで続く、その甲斐あって、やがて荒魂は和魂に浄化され、祖霊となって一族の守り神(先祖神)となり、生活の安定を取り戻すというわけだ。
慰霊行為は不安な人間の自然の行為である。仏教が日本に伝えられた当初は、この霊の問題を解決する手段として利用されたようである。つまり、仏教の供養がこれらの霊を鎮め癒やし浄化する効力をもつと考えられたのである。