浄土真宗本願寺派(西本願寺派)

『仏縁』とは、『いのち』とは

梅がつぼみを膨らませ、やがて桜が咲き誇る季節がやってきます。「花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき」と歌った歌人がいました。苦しみは、一時忘れることがあっても、生きる限り繰返されます。迷いの生を生きている「いのち」の本質を言い当てているような気がします。

私達は、過去から未来へ、先祖から子孫へと繋がる「いのち」の潮流に気付き、その刹那に生きる「私」の存在に息をのむことがあります。

娑婆の苦楽に浮沈する「私」は、この「いのち」の圧倒的な暴流の裡で、御しがたい「心」と老・病・死の「身」に翻弄されつづける過酷な存在です。

この事実を誤魔化すことなく自分の存在に正面から向かい合うきっかけを仏縁といいます。

仏縁とは、仏の「智慧」「慈悲」によって煩悩の氷が溶けて菩提の水になるように、私の「いのち」の源流を見抜き、何が問題であるかに気付いて往く不思議を自覚できるということです。この「真実」に気づき、わが子わが孫は勿論一人でも多くの縁ある人に、伝えていってほしい…その思いが念仏者の行動となり、浄土真宗の文化をかたち作って参りました。

 

2018/04/15

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