浄土真宗本願寺派(西本願寺派)

仏供養雑感

二年前から姫路市連合仏教会の会長として、名古山の行事で導師を勤めさせて頂いている。その行事とは釈尊の一生を荘厳する降誕会と成道会、そして涅槃会である。

仏教会が名古山・舎利殿の三大仏事を引き受けるようになったのは戦後である。姫路市の戦後復興の一つに仏舎利塔の建設が、当時の石見市長の意向と仏教会の協力で事がなったことによる。しかし、戦後七〇年を過ぎると、行事の樣子も当初の仏供養からほど遠いものになっていることに驚かされる。

政教分離の手前、姫路市が仏事を行うことはできず、納骨者によって構成される任意団体として名古山霊苑協会がこれを受け持つ形態を取っている。霊苑協会が宗教行事の主体であるため、納骨者の慰霊が主な内容となるのは当然の成り行きである。当初は納骨する人は少なかったので問題は無かったが、年々増加し、今では年間千名を超える市民がそれぞれお布施として供養料を納めて納骨する。

従って、本来の仏供養から、故人の慰霊供養に行事の趣旨が変化してきたことは明らかである。霊苑協会ではこのトレンドに対応して盛大に慰霊法要を行わざるを得ない。

この法要を請負うのが姫路市連合仏教会という構図が出来上がってしまった。仏教による慰霊という宗教行為は普通一般に見受けられる事であるが、その内容は宗派によって異なるが、三大仏供養とは明らかに趣旨を異にする。

しかも納骨者の過半が真宗の門徒と聞くと傍観視する訳にもいかない。

特に真宗においては、「親鸞におきては、父母の孝養のためにとて、一辺にても念仏申したること候はず」と歎異抄を通して言い切った。冥土の迷いの中にある故人がいれば、まず自分が悟りを開き仏となって救え、と極めて合理的な発想である。真宗では仏教を慰霊の手段とせず、当人の念仏往生をもって仏教の筋をとおす。念仏の功徳をもって主体的に浄土の悟りに至る手本を、先達が、残された我々に伝えていると捉え、我が往生のための大菩提心を自覚すること以外に真宗の供養の本源は見いだせない。道綽禅師の「先に生まれん者は後を導き、後に行かん者は先を訪え」のとおりである。

しかし、生前に仏壇に手をあわすこともなく、仏法の聴聞もない者に、この見立ては通用しない。

残念なことに、名古山での供養が慰霊として粛々と執行されていることに違和感を感じるのは私だけであろうか。

 

2018/01/01  

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