このお寺は、台風が来ると何かしら被害が出る。案の定、昨年の十月の台風で本堂中庭の鰆の大木が倒れ大屋根を直撃した。足場を造り、大型のクレーンまで出動して、一週間がかりで撤去した。幸い屋根の被害は大事を免れたが、移築してから既に百五十年、見上げると、本屋根の瓦は波うち、随所に雨漏りの修理跡が痛々しい。いずれ屋根替えのことを考えねばなるまい。
耐用年数を超えた建物のメンテナンスは容赦がない。書院の蔵の床がシロアリの餌食となって抜け落ちた。取りあえず、中のものを空き家となった北書院に写す。ほとんどがガラクタであるが、明治のガラクタともなれば早々捨てるわけにも行かぬ。整理分類して収納せねば事が収まらぬ。
北書院は前住職の住まいとして使われていた。先代が逝ってから朽ちるがままにしてある。この建物は明治一七年に、本願寺から広如上人のご息女・朴子様の輿入れに際して造られたものだそうだ。本拭きの大屋根をもつ書院風の建造物だ。おいそれと撤去するわけにも行かぬ。文化財課の調査も済ませ、収蔵物の評価をした上で、潰すか残すかを決断せねばならない。いずれにしても、まとまった資金が必要だ。留保金を潤沢に抱える寺であれば問題ないが、本徳寺の財政を見れば前途多難だ。今年はこんな資金調達で呻吟させられるのかと思うと正月早々気が滅入る。
思えば、身体の都合で大学をやめてから、三度目の元旦を迎えた。早いものだ、治療も一段落、少しはゆっくり出来ると思っていたが、そうは問屋が許さなかった。次から次へ公・私ともに問題が生まれ処理に追われる。大学の職務を言い訳に先
送りしていた難問が怒涛のごとく押し寄せてくる。もう待ったなし。老体を奮い立たせて取りあえず慣れぬ仕事に立ち向かうが、若いときのようにテキパキとはいかない。だからといって世間は許してくれない。ますます、落ち込んでくる。こんなはずでは無かったのに。と思いながら、いつしか古希を迎えた。
娑婆の獄卒は人生百年を標榜する。まだやるの、もういい加減にしてくれよ。と言いたくなる。娑婆の煉獄は手厳しい。追い打ちをかけるように、五濁悪世の娑婆界で最後の修行を果たさねば命の本質が見えてこないぞ。と魔天の声が聞こえる。
毎朝、和讃を拝読しながら、親鸞聖人の晩年のご苦労を思ってみる。娑婆界の真っ只中で本願を成就した法蔵の苦難を思えば、私の苦悩などたいしたことは無いと受け取った。娑婆での修行にもうこれでいいということはないらしい。浄土の悟りに至る願われている命を日々精一杯生きさせて頂こうと思う。
2018/01/01