浄土真宗本願寺派(西本願寺派)

令和7年が終わり。悲惨な娑婆に身を置きながらも、お念仏に促されて、新しい年が始まります。思えば、娑婆に生息する私たちは、多くのものとサービスに囲まれ、多様な生き方を享受しつつも、その豊かさが実感できません。批判や言い訳は得意ですが、己を支えている人やものの存在に気付くことは希です。生きていくために多くの知識と見解をもちながら、肝心の己が何ものであるかを知りません。目
先の損得には敏感ですが、事の真偽には疎いようです。過剰な人生観「如何に生きるか」はあっても、たった一つの死生観「如何に死ぬか」をもてないのは悲惨です。喜びや悲しみをかかえても、それを他者と共有することができない空しさ。こんな閉塞社会で、人はとまどい、孤立し、不安を抱き、最後の一息まで右往左往して骨になっていきます。人と自然が対立し、己と他者とが分断され、生きることと死ぬことが乖離したこの時代に、生死出離の一大事を親鸞聖人の生き方から学ぶことは何よりも大切なことです。年頭より、親鸞聖人の報恩講を厳修いたします。とりわけ15日(木曜)・午後2時の報恩講式の「私記文・嘆徳文」の拝読を頂き、聖人の娑婆での生き様を聴聞されます様ご案内申し上げます。

お知らせ

2025-2026 除夜会・元旦会

令和七年が終わります。無事に過ごせた人、大事を経験した人。仏樣の智慧を頂いてこの私の一年を静観してみよう。支えてくれた人やモノが見えてくる。感謝の気持ちを鐘音に込めましょう。 令和七年。新しい年が始まります。なにがおこるか分からぬ娑婆の命。南無阿弥陀仏の弘誓に目覚め、信心ひとつで老・病・死を生き抜こう。

2025 彼岸会

9月22日から24日までの3日間お彼岸の行事を勤めます。此の岸から彼の岸に到る仏縁を頂く行事です。此岸とは煩悩の苦楽に明け暮れる娑婆の日常世界。死んだら終いという迷いの世界です。念仏者はこの娑婆界で老・病・死を修行して、仏智に目覚め、迷いの「我執」を捨てて信心一つで浄土のさとりにいたります。これを彼の国に到ると言う事から到彼岸と言います。

2025 追弔会

とりわけご生前中、お取り次ぎ頂いた本徳寺のお世話役様と本徳寺にご縁のあったご門徒のご苦労を忍ばせていただきます。この上は、先達の「いのち」を正面から見据え、阿弥陀仏が願われている「いのち」の真実に気づかせていただき、自らが納得のいく「いのち」の全貌を自覚する機会にしていただければ、これ以上のことはありません。つきましては、9月7日・日曜日・午後1時から亀山本徳寺本堂にて「播州門徒追弔法要」を勤修いたしますので、是非ともご参加下さいますようご案内申し上げます。

2025 灯籠会

今年も亀山本徳寺ではお盆に本坊骨者追総追弔法要を8月14日に左記修業いたします。この娑婆世界で、ご縁があり、ご恩があり、また仏縁を繋いでくださった先達の尊い命に深く思いを致し、仏恩報謝の念を顕されれば有り難いことです。私達、残された未生の者は、これから老・病・死を乗り越えて生き続けねばなりません。この五濁悪世のなかで信心の智慧を開いてさとりの浄土に会入するべく仏さまから願われている存在です。お寺の行事はそのことに気付く場ですので万難を排してご参拝ください。

2025 蓮如上人・歴代年忌法要

来たる5月11日、標記のご法要を下記の要領で修行いたします。 蓮如上人は中世の動乱期に、近畿・北陸を中心とする各所に寺内町を創設し、そのネットワーク化を通して今の本願寺教団の礎を築かれました。さらに、お念仏を西日本に広めるにあたり、いち早く御堂衆・空善を手配し、播州・英賀に本願寺の拠点を意図され、英賀本徳寺が創建された事は広く知られることであります。その他、上人は正信偈・和讃の読誦、御文章による平易なお念仏の領解など、宗門の基礎的な教学を確立されました。今に続く真宗寺院の伝道樣式は蓮如上人の才覚によるものです。このような歴史的な経緯を伺い、蓮如上人を開基とする本徳寺で今に続く仏縁を深く聞き開いていただきたく思います。

過去のイベントギャラリーへ

亀山本徳寺で行われた様々な催しの樣子をご覧いただけます。

蝋燭能、音楽祭、映画ロケ、モダンダンス、書道展など、本徳寺ならではの空間を生かし多岐にわたる表現の場を提供しております。

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